新発田市虎丸所蔵の石器

小林弘   

  1. はじめに
     新発田市周辺の遺跡踏查の際、新発田市虎丸の、故渋谷善雄さんの好意で所蔵の土器、石器を拝見する機会があった。遺物は木箱に収められ、吉平屋敷出土と墨書された和紙が貼られている(写真)。石器など華奢なものは板に糸で固定され、他の土器、石器はそのまま箱に入れてあり、後期旧石器、縄文後期、晩期、平安中世のものがある。市内で古くから周知の遺跡で、吉兵衛屋敷遺跡が虎丸字坂ノ沢、柳田に所在し、渋谷さんの祖父が以前、その周辺で採集されたものという。遺跡は新発田市市街地の東方、二王子岳西麓陣場山丘陵の北端付近で、二王子岳(1420m)を水源とする姫田川左岸に立地し、標高25m前後で現況は畑地、水田である。筆者も何回か遺跡を踏査し、旧石器時代の遺物は未確認だが、今後の踏査で確認できるかもしれない。採集品は概ね、渋谷家所蔵遺物の内容と一致するが、現状では採集地点を示すような注記など無い為、蓋の墨書が示すように、全て同一遺跡の遺物か確証がないものの、その内の尖頭器1点を紹介する。

  2. 木葉形尖頭器(第2図)
     頁岩製。重さ、27.3g。幅、2.5cm。長さ、8.1cm。厚さ、1.1cmを測る。基部は、正面側からの当時の衝撃により破断し欠損している。おそらく左右対称の大形の柳葉形両面調整尖頭器と推定される。断面形態は、凸レンズ状を呈し、礫ないし石核または分厚い剥片を素材としていると思われる。裏面先端部には、器軸上に衝撃剥離の使用痕が認められる。全体の色調は、濃い茶褐色を呈する。鱗状の平坦剥離が器体全面に認められ、周縁に調整を施している。

  3.  まとめ
     本資料は、単品で基部が欠落し、年代観など考察するには制約があり、危険かもしれないが敢えて位置付けを考察しまとめとしたい。本資料と平面形態や両面調整の方法で類似するものは小千谷市真人原遺跡(小野2002)、県外では山形県鶴岡市越中山A’遺跡(加藤1992)で認められる。真人原遺跡では調査の際、ナイフ形石器や尖頭器石器群が出土し、尖頭器石器群は広域テフラの理化学分析などからAT以後、AS-YPK以前の後期旧石器時代の範疇に収まり、「男女倉型有樋尖頭器以前の時間幅に収まる可能性」が指摘されている(小野2002)。石器群の特徴は、後期旧石器時代後半の様相を呈する。後期旧石器時代後半から縄文時代草創期前半の尖頭器の可能性が高く、本例もその年代観の範疇の可能性が高い。
  • 本稿は2006年「越佐補遺些」第11号(越佐補遺些の会)に掲載したものです。
  • 引用・参考文献
    小野昭編 2002『真人原遺跡』東京都立大学報告 真人原遺跡発掘調查団
    加藤 1992「尖頭器文化」『東北日本の旧石器文化』雄山閣出版
    諏訪間順 1988「相模野台地における石器群の変遷について」『神奈川考古』24神奈川考古同人会
    立木宏明1996「中部地方北部における後期旧石器時代後半から縄文時代草創期前半の石器群の再検討」
    『考古学と遺跡の保護』 甘粕健先生退官記念論集刊行会
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