新発田市堤下A遺跡採集の槍先形尖頭器

小林弘   

  1. はじめに
     本遺跡は、新発田市大字滝沢字堤下に所在する。紹介する石器は、滝沢在住のSさんのお父様が、昭和20年代後半に、瓦製造用粘土の掘削用土坑から採集したもので、現在はS家で大切に保管している。所蔵品は、他に縄文中期の河童形土偶、詳細時期不明の玉類がある。紹介する石器は『新潟県史』(註1)に写真で紹介されている。資料紹介には、Sさんの格別の御配慮により資料紹介をすることができました。ここに記して感謝申し上げます。

  2. 遺跡の位置
     五頭山地の西麓には小出―新発田構造線断層帯が南北に連なっている。本遺跡は、その丘陵地の陣ヶ峰(標高123.4m)の西に派生する尾根の末端付近が沖積地に埋没する付近の標高10m前後の微高地上に位置する。行政区分では、新発田市と阿賀野市の境界付近に所在する。現況は宅地や畑地である。微高地周辺の眼前には、新潟平野の水田地帯が広がっている。

  3. 槍先形両面調整尖頭器
     石器の素材は礫皮面の残る肉厚剥片で、石材は剥離面がチョコレート色を呈する硬質頁岩である。ソフトハンマーによる剥離調整を加え、最大幅が器長の1/4付近にある。法量は長さ14.6㎝、最大幅3.8㎝、重さ87.3gを測る(図1)(写真1)

  4. 考察
     紹介した槍先形尖頭器は特徴が類似する例が、縄文前期後半の山形県東置賜郡高畠町の押出遺跡で出土している。押出遺跡では基部に括れのある形態が「押出ポイント」であることは、著名であるが、括れの無い尖頭器も出土し柳葉形、木葉形、有茎形の3形態に分類され、さらに細分してその中のⅠA形の柳葉形を呈し、最大幅が身部先端寄りにあるもの、基部がやや丸く整形されているものに紹介した石器に類似している。新潟県内では本例の他に、十日町市貝野遺跡(註2)、村上市樽口遺跡(註3)で出土している。東北地方の石匙・石槍の変遷で大木4期から、大木6期段階に押出型Ⅰ型が存続する可能性が指摘されており(大工原2008)(註4)。本資料もその年代観を参考にすれば、縄文前期後半の範疇に収まる可能性が高いと考えている。
写真1
図1
  • 本稿は2019年「我唯足知」(我唯足知刊行委員会)に掲載の原稿より抜粋したものです。
  • 引用・参考文献
    註1 『新潟県史』資料編1 原始 古代 新潟県教育委員会
    註2 笠井洋祐 2002「中里村貝野地内出土の石槍」『越佐補遺些』第7号 越佐補遺些の会
    註3 立木宏明 1996『樽口遺跡 奥三面ダム関連遺跡発掘調査報告書Ⅴ』朝日村文化財調査報告書 第11集 朝日村教育委員会
    註4 大工原 豊 2008「縄文時代前期の硬質頁岩製匙・石槍の流通と型式変容」『縄文石器研究序論』六一書房

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