皆木邦夫
2022年5月22日「ふるさと探訪 古絵図から見るいじみの」開催日、緑したたる参道を登り詰め、豊田神社に参拝。拝殿で鈴木博さんの名解説が始まる。「新発田藩領絵図<含,奥州八島田>額」(148㎝x594㎝)の作成費用53円 19銭のうち、10円は「奥州八島田村,成田村,庄野村の旧名主5名が占めている」と いう。実に1/5に相当する額である。この説明を聞いて、浮かんで来たことがあつた。
令和元年度の史跡見学会:「福島市・二本松市に『新発田藩ゆかりの史跡』を訪ねる」 で目にした、実に多くの「溝口大明神」の石碑と表裏一体でないのか、と。
新発田藩は、寛政元(1789)年の「2万石の領地替え」により、奥州での治政を余儀なくされた。その結果は、溝口侯を讃える数々の石碑が表している。(写真提供は鈴木博さん)そして、絵図額への寄附である。10万石の内の2万石も、5 3円の10円もほ ぼ2割である。変なところに感心し、事業部の取り組みに感謝した半日であつた。
なお、上記のことに関連する「新発田郷土誌」をご紹介いたします。
●第41号 「新発田藩領絵図<含-奥州八島田>額」 鈴木博
●第48号 史跡見学会報告
「福島市,二本松市に『新発田藩ゆかりの史跡』を訪ねる」 遠藤木綿子
●第50号 「寛政元年の二万石高替えについて」 佐藤賢次
溝口大明神碑:藩主溝口氏善政感謝碑
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